月刊花火句会

花火句会は2004年夏、花火シーズンの真っ只中で発足しました。 集まったのは、当時40代から60代の10名余り、全員がそれまで俳句なんぞ作ったことがないというど素人ばかり、それでも俳人山口勝行氏の指導を得て、月1回の句会、年1~2回の吟行を行っております。 句会は、参加者が事前に用意した兼題1句を含む当季雑詠5句を提出、全員で選句します。 選句された句は、入点句として、次回の会報で発表されます。 会員による選句とは別に、山口勝行氏選の優秀句(1、2句)は、山口賞となります。 句会後には、自由参加で懇親会もあり、当日の会員の句を褒めたりけなしたり、まさに議論百出です。

2019年05月



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『回覧板』シリーズ その⑪ 当番 梶原信史



『平成のあとさき』



新元号「令和」が四月一日に発表され、五十日余りが過ぎたが、中々親しめずに今日に至っている。「年数がたてば新元号に慣れてくる」とどなたかの感想が新聞記事にあったが、どうやら慣れ親しむのに随分と時が掛りそうである。多分、「令」の文字から受ける印象が、「命令」と結びつき、どうしてもきつく感じられるからであろう。よって、「令和」を書く場合は「令」の五画目の縦棒を、カタカナの「マ」のように書けば、幾ばくかは親しみが持てるのではと勝手に思っている。
 
『まさか人生の中で二度も改元を経験するとは!!』
これは四月三十日、報道各社が天皇陛下の退位の礼を伝えていた時の私の感想である。共同通信(3/27)によれば、『平成は「良い時代」7割超が評価』とあるが、そうであるのか平成を追想した。
昭和天皇が崩御され、自粛ムードの中で重々しく平成が始まったのが1989年1月。以降戦争こそなかった素晴らしい時代であったものの、雲仙・普賢岳で発生した火砕流、阪神大震災、東日本大震災、御嶽山噴火や昨年の西日本豪雨等々、自然災害で多くの命が失われたことを思うと何をもって良しとするのか、一概に良いとは評価し難い。幼少時、伊勢湾台風を経験したとは言え、度重なる災害の被害は昭和のそれとは比較にならない時代であったと思えて仕方ない。日本社会の平成30年間を概観すると、こんな感を抱いている。
転じて拙宅の平成はどうであったか、振り返れば、とりわけ平成後半は悲しい出来事に向き合わなければない時代であった。
平成19年の父を最初に、21年に兄、24年に母を、またこの間には義姉(兄嫁)を兄の百日前に、従弟を24年に送り出すことになった。言わずもがな、大切な存在を亡くした時、痛烈な悲嘆に暮れ、「慕う心」に繰り返し胸がしめつけられる。生前を想い出す度に、仏壇に向かっては今度生まれてくる時も、父、母の子でありたいと手を合わせている。
母は平成24215日に病床に臥し、同年43日に天寿を全うした。その2日前の41日、私は還暦を迎え、それを母に伝えると少し驚きの眼差しを浮かべ、と同時にさも嬉しげに眼を細めていたことが今も眼裏に映っている。そして2日後の3日に父、兄のもとに旅立った。
母を亡くした時、すっかり喪心し茫然自失の私は多くの慰めや、励ましの言葉によってどれほど救われたことか、そして今でもその言葉は私の心の支えとなり、確かに今日を生かされていることを思うと、その言葉の一例を紹介せずにはいられない。
・「物事には順番がある。順番が自然で、ちゃんと見送ることができて、それは良かったこと。」
・「いつかは訪れることであり、誰も決して避けて通れない。」
・「この世で肉体が離れてしまったけれど、あちらでまた会える。」
・「目に見えなくても、いつも見守っていてくれる。」
・「天寿を全うし、晩年まで元気で過ごせたことはとても幸せなことであった。」
・『ハリーポッターが敬愛する、数百年生きた魔法使いの長老が亡くなった時、悲しみ嘆くハリーに、人格者の魔法使いがかけた言葉。「君は長い長い一日がやっと終わって、くたくたに疲れている夜、ベッドに入って休むことができる時、幸せに思わないか?敬愛する魔法使いも、寿命を全うして、やっと眠りについたんだ。そのことは、ほっとできる、幸せなことだったに違いないよ。だから、お前が悲しむ必要はないんだ。それは自然なことなんだから」』

今一つ、昨年の「別れ」愛車(マークX)との別れを紹介したい。

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昨年97日、19時頃であったか、名古屋高速烏森料金所から本線に入る直前、エンジンが突然止まってしまい、減速を始めた。そう、「あたかも今際の際の心臓の音がだんだんと弱まっていく」かのように。「もう、そろそろダメなようです。そろそろ一生を終えるみたいです。」とそんな声が聞こえたような気がした。後続からは本線に入ろうとする車と、レッカー車が到着する1時間余り、傍らを猛スピードで走りぬける車とに恐怖さえ覚えた中で、愛車との12年間を振り返っていた。
 廃車時の走行距離「254,515km」。地球一周は約40,000km、何と6周も回った計算になる。
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「君は一生懸命によく走ってくれた。私の仕事にも付き合ってくれ、長距離旅行にも、最愛の人たちを乗せ快適に走ってくれ、数え切れないほどの思い出を作ってくれた。事故にもあったが(君は大けがをしたね)、君のお陰で助けられた。君は体を張って守ってくれたね。地球6周分の思い出をこの数行に感謝をこめてしたためておこう。本当に、本当にありがとう。“もみじ葉に感謝を乗せる廃車かな”(10/3日記より)」
 
我が家の2階には3部屋あるが、今日現在、足の踏み場がないほど物置部屋と化している。通夜の時に、1階にあった遺品等を2階に詰め込んだままなのである。もう何年も捨てられずにいる。いざ、遺品と向き合うと、物を大切にし、物を捨てることを嫌った母の言葉を思い出し、手が進まない。どうやら、大正、昭和、平成の三代を生きてきた遺伝子を受け継いでいるのか(聞こえはよいが)、さにあらず、ただ生皮なのである。
来月6月の末には兄の祥月命日の法要と父の13回忌法要を営む予定をしている。断捨離という言葉をしばしば耳にする中、三代に亘る遺品整理が「令和」の私の終活である。



 




月刊花火句会 これからの刊行予定


6月16日:2019年6月号(203号)
  『6月定例句会(6月8日)報告

月30日:2019年6月増刊号(204号)
  特別企画『座談会』・・・花火句会発足の頃を振り返る




 句会の予定  


【日時】 2019年6月8日(土) 18:00~
【会場】 金山アカデミーセンター4F
【兼題】 『鵜飼一切』を含む当季雑詠5句




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【日  時】 2019年5月18日(土)
【会  場】 金山アカデミーセンター4F
【出席者】 小麦、藻六、沓九郎、按庵、仁誠、信史、カモメ、一筋
【投句者】 U太
【兼  題】 『袋掛』を含む当季雑詠5句
 
 
前にもありましたが(2度くらいでしょうか)、勝行先生欠席という、いってみれば変則句会。しかしそこはそこ、何しろ“変則”的人間の集まりである当句会、最後までやり遂げたんであります。立派、立派!
先生に代わって臨時、代行、間に合わせ、当座しのぎの先生に就任したのは小麦。コレ、特に誰れに推挙されたという訳ではなく、気がついたら先生席に着いていたんであります。たださすがに権限はナシ。例えば会員の句を添削するとか、選句に際して特別に持ち点が多いとか(会員は6点、先生は原則無制限、時によっては10点を超える時あり)、今月の最優秀句を決めるとか、次回の兼題を決めるとか。ま、権限がないんだから、お飾りといえばお飾り。しかしやっぱり無しでは困る、そういった微妙な存在ではありました。しかし小麦、大過なくその役をやり遂げたんであります、立派、立派!
 
さて句会の内容ですが、これもいつも通り。秀句、駄句、はちゃめちゃ句と多士済済、打打発止の議論もあって実に面白かった。特に議論になったのは兼題がらみ。
例えば「袋掛息とて結び弛(ゆる)めけり」のカモメの句、
カモメ「こんないい句になんで点を入れん」
按庵「意味、分からん」
藻六「これでは中の実が息苦しいと、袋掛の結びをゆるめたんだな。心優しい思いやりよ」
カモメ「さすがモ~さん、よく分かってる」
藻六「けど表現力がイマイチだな」
カモメ「ム、ムッ」
仁誠「あのさぁ、実は息をしないんだ」
カモメ「はあ~?」
仁誠「植物は葉っぱで息するの。そんなん知らんのか、バカったれ」
カモメ「……」
 
「手を止めてつい読み耽る袋掛」の小麦の句、
小麦「いい句だと思うんだけどねぇ」
信史「情景はすぐ浮かびますよね」
仁誠「異議あり、今の袋掛は新聞紙なんぞ使わん。ちゃんとした袋掛用の網があるんだ」
小麦「そうなんだぁ、知らんかったぁー」
仁誠「頭の中で句を作るからダメなの」
そこで誰れぞが、「じゃ袋掛の経験ある人、手を上げてぇ」、結果は一名のみ。で、兼題をテーマに議論百出。誰れぞ「そもそもこういうリアリティのない兼題がいかんのだ。誰れよ、決めたのは」
沓九郎「先生」
誰れぞ「じゃ先生が悪い」
欠席裁判というのは、こういうものなんですね。うかうか欠席もできません。
 
信史の「貝がらを二つ合わせて南風(はえ)ならそ」について、
藻六「ならそって何よ、意味分からん」
信史「ならそうよってことです」
藻六「南風に貝がらを鳴らそうってか。なら、鳴らそうって書けよ。まぎらわしい」
信史「新見南吉にそういう詩があるんです。それ、ひらがなだった」
藻六「あ、そ、浅学ですみません。あれ、この句に一筋が点を入れとるじゃないの、一筋、南吉の詩、知っとったん?」
一筋「……」
 
またカモメの次の句「こちに垂る枇杷いかにせし袋掛」の句、
按庵「この、こちって何よ?」
カモメ「こちはこっちよ、こっちに垂れてるの」
按庵「そんなの使うのお前だけだろが」
カモメ「こち来い、こち来いって言うだろが。知らんのか」
按庵「知るかっ、俳句に使うな、そんな言葉。東風(こち)と思ったがに」
カモメ「それじゃあ東風(春)と袋掛(夏)の季重なりになるだろ。そんなんも分からんのか」
小麦「枇杷は夏の季語なのよ。この句袋掛との季重なり」
カモメ「あちゃあ」
 
「踝の顔出すソックス夏来る」の信史の句について、
小麦「踝(くるぶし)の顔出す、これが疑問なのよね」
沓九郎「どしてさ? わたし点を入れた」
藻六「わても入れたぞ」
小麦「スニーカーソックス知らんの。今はね、短い靴下が流行ってるのよ。夏だけじゃない、一年中」
沓九郎「あ、そうなの。なら信史が悪い」
信史「すみません」
 
「夏籠りや外はマルシェで賑へり」の按庵の句について、
藻六「夏籠(げごもり)って何よ?」
按庵「夏安居(げあんご)とも言うわな」
藻六「ふ~ん、あれかぁ。マルシェって何よ?」
按庵「マルシェは市、市場だな。フランス語よ」
藻六「フランス語! 按庵がフランス語ってかぁ~、に、似合わん! 屋台にしろ!」
 
「天翔の藤棚の下純平が行く/按庵」について、
信史「この純平ってのは何ですかね?」
按庵「あ、それ、名前」
信史「名前って、戦場カメラマンの安田純平さんとか?」
按庵「いや、わっしゃの孫。それがもうかわゆいのよね」
全員、口、あんぐり。
てな調子で、面白い句会でした。
 
 

一席 
奥飛騨の空を包める袋掛/U太
夏つばめ一閃しての始球式/仁誠
 

三席 
癖削ぎてしなやかなりし簟(たかむしろ)/信史



今月の入点句は特選句) 
 

中谷U太
両の手に薔薇もふ何も持てない
五月来ぬ令和はぼくの晩年
春月の西空にあり母の逝く
奥飛騨の空を包める袋掛
薫風や童はたぶん母の夢
 
河村仁誠
夏立ちてトロッコ列車開通す
夏つばめ一閃しての始球式
初レギュラー泥んこ嬉し若葉雨
 
梶原信史
踝の顔出すソックス夏来る
癖削ぎてしなやかなりし簟(たかむしろ)
貝がらを二つ合わせて南風ならそ
 
深井沓九郎
賞品は苺づくしの抽選会
一台は倒れぬ自転車青嵐
 
加藤小麦
蛍寂しこんな飛ぶのに光るのに
鶯や森深ければ声澄めり
 
御酒一筋
夫婦して正直者なり袋掛
ターザンの降りたる処鶯舞う
袋掛け裾に小枝の入り来たる
 
高津按庵
青き空鯉幟あばれきこり村
三河路の祖母もしていた袋掛
夏籠りや外はマルシェで賑へり
 
原藻六
明易や結末のなき浅き夢
あるなしの風囁きの竹落葉
 
仲野カモメ
夏シャツや歳押し返し毳(けば)立ちぬ
令和見ず形見となりしサングラス
こちに垂る枇杷いかにせし袋掛
 
 

 句会を終えてひと言 


 
自宅近くの寺の門柱に「写経」の案内、この時期は夏書、参拝者やご坊が書院で修行しているのだろう。堂外のマルシェは多くの人々で賑わっている。写経とマルシェ、その対比が妙。按庵の「夏籠りや外はマルシェで賑へり」が特選。先日句友である仁誠の「竹細工作品展」を訪れた。玄人を思わせる作品が多数展示されていました。会場のいなべ市笠田の古民家二井家に向う途中で作ったのが、今日の自信句「父と来し里の山藤変はらじや」。かってこの近くに居を構えていた亡き父と多度神社に行ったことがある。山間の沢沿いを一時間余り、獣道のようなブッシュを抜けた記憶がある。その時の思いがよみがえり、この句を作った。 (信史)
 
うつろうつろの夜明けはあるもの。はっきりしない夢があり、眠りは浅い。あるあるを感じた藻六の「明易や結末のなき浅き夢」が特選。熱田神宮の茶室で経験した煎茶道、小さな急須で入れ、これまた小さな茶わんで頂くのだが、中身はほんのちょっぴり、まさに滴。しかしこれが殊の外旨かった。色も金色。そこで一句、「煎茶道新茶ゆ金の滴かな」、これが今日の自信句。 (カモメ)
 
特選にしたのは一筋の「ターザンの降りたる処鶯舞う」。鶯とターザン、この意外性のある取り合わせがいいと思った。アフリカのターザンの生まれた森には、実は、鶯がたくさん飛んでいるんです。動物や植物と友だちのターザン、鶯もいっぱい寄ってきます。家族総出の袋掛、赤ちゃんもしばらくがまんしてもらわねば。棚の下なら日陰で涼しい。泣かずにおねんねしてねー。わちきの今日の自信句「棚下に嬰児置いて袋掛」でありんす。本日は先生不在の句会。メンバー8名で何とか工夫して終えた。みんなが俳句についての意見を言い合ってよかった。楽しかった。 (小麦)
 
袋掛をしている私には良く分かるが、作業の前にまず確かめるのは果実の傷のあるなし。傷付きの果はやはり摘果すべきで、惜しいけど取り除くことになる。袋掛けした果はやはりきれいで、大きく、おいしい。「傷の有無まず確かむる袋掛」が今日の私のイチオシ。特選にしたのはU太の薫風や童はたぶん母の夢」。歩き疲れた女の子が、広い野原のベンチで風に吹かれスヤスヤ眠っている。お母さんの膝が枕。この子にとっては一番安心できるお母さんの膝。きっとママの夢を見ているんだろう、口許が「ママ」と動いているように見える。 (仁誠)
 
青嵐にバタバタと倒れる自転車、一同揃って討ち死にの呈。“倒れまいぞ、みなの衆”と声かけあって、結局一台を残しみんなバッターンと倒れちまう。自転車のバーカ、まるで現代を生きるわれらニンゲンみたいなものであることよのー。沓九郎の一台は倒れぬ自転車青嵐」が特選。自信句は「夫婦して正直者なり袋掛」。袋掛け作業は日本ならではの栽培技術のひとつとか。大変な作業ではあるが、正直者の夫婦なればこそのり超えられるものである。コレ、ホント。うそじゃありまっせ~ん、なぁ妻よ。 (一筋)
 
今日は先生不在だったが、披講のあとの句評がなかなかに熱がこもっていて、よかった。今日絶対の自信句は「天翔の藤棚の下純平が行く」。令和初日、小雨の中、ふるさとの天王川の藤を見に行った。白藤、八重黒龍藤など、とてもきれいだった。昔はなかったが、地元のライオンズクラブとかによる天翔の藤棚なるものもあった。孫の純平(1歳半)がうれしそうにその下を走った!! そのまんまを句にした。特選は夏つばめ一閃しての始球式」、この仁誠の句、映像が鮮やかで、初夏のすがすがしさがとてもよく出ている。 按庵)
 
見上げた木には一杯の袋掛け。本当に果物を包んでいるの? 空をそのまま包んでいるようにも見える…というメルヘンチックな句。U太の発想に特選!! 「奥飛騨の空を包める袋掛」です。栄で仕事をしていると外国人が増えていることを実感。場合によっては日本人が少数派! 私の「外国語飛び交う街に夏来たる」ですが、これからどんどん変わっていくのでしょうなぁ。日本も変わらざるを得ないんであります。今日は良い句もできず、ドラゴンズも負け、さみしいーっ。 (沓九郎)
 
信史の「癖削ぎてしなやかなりし簟(たかむしろ)」、この簟というのが分からんかったが、まぁ字面から箪笥の仲間だろうと◎を打った。箪笥の引き出し、ぎこちなかったのが削ったらスムーズになった、そう読んだわけ。ところがあとから聞くと簟は竹で編んだむしろだという。知らんかったぁ! けど竹のむしろの方がずっといい、(しなやか)が生きてきます。◎で正解でした。こういうの、ケガの功名というのかなぁ。自信句はナシ。今日はバッドな日。金山駅に着いたら東京の友人からケータイ、共通の友人である夫妻(学生結婚)が、違う病気で倒れ、もう回復の見込みは薄いという。句会にくればブービー。句会後の飲み会では、思ったより高い請求。無常感、無力感、ため息、ため息の日でありました。 (藻六)



 月刊花火句会 これからの刊行予定   


5月30日:2019年5月増刊号(202号)
 『回覧板』シリーズ その⑪ 当番 梶原信史
 
6月16日:2019年6月号(203号)
 『6月定例句会(6月8日)報告



 句会の予定 
 


【日時】 2019年6月8日(土) 18:00~
【会場】 金山アカデミーセンター4F
【兼題】 『鵜飼一切』を含む当季雑詠5句




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