『回覧板』シリーズ その⑪ 当番 梶原信史
『平成のあとさき』
新元号「令和」が四月一日に発表され、五十日余りが過ぎたが、中々親しめずに今日に至っている。「年数がたてば新元号に慣れてくる」とどなたかの感想が新聞記事にあったが、どうやら慣れ親しむのに随分と時が掛りそうである。多分、「令」の文字から受ける印象が、「命令」と結びつき、どうしてもきつく感じられるからであろう。よって、「令和」を書く場合は「令」の五画目の縦棒を、カタカナの「マ」のように書けば、幾ばくかは親しみが持てるのではと勝手に思っている。
『まさか人生の中で二度も改元を経験するとは!!』
これは四月三十日、報道各社が天皇陛下の退位の礼を伝えていた時の私の感想である。共同通信(3/27)によれば、『平成は「良い時代」7割超が評価』とあるが、そうであるのか平成を追想した。
昭和天皇が崩御され、自粛ムードの中で重々しく平成が始まったのが1989年1月。以降戦争こそなかった素晴らしい時代であったものの、雲仙・普賢岳で発生した火砕流、阪神大震災、東日本大震災、御嶽山噴火や昨年の西日本豪雨等々、自然災害で多くの命が失われたことを思うと何をもって良しとするのか、一概に良いとは評価し難い。幼少時、伊勢湾台風を経験したとは言え、度重なる災害の被害は昭和のそれとは比較にならない時代であったと思えて仕方ない。日本社会の平成30年間を概観すると、こんな感を抱いている。
転じて拙宅の平成はどうであったか、振り返れば、とりわけ平成後半は悲しい出来事に向き合わなければない時代であった。
平成19年の父を最初に、21年に兄、24年に母を、またこの間には義姉(兄嫁)を兄の百日前に、従弟を24年に送り出すことになった。言わずもがな、大切な存在を亡くした時、痛烈な悲嘆に暮れ、「慕う心」に繰り返し胸がしめつけられる。生前を想い出す度に、仏壇に向かっては今度生まれてくる時も、父、母の子でありたいと手を合わせている。
母は平成24年2月15日に病床に臥し、同年4月3日に天寿を全うした。その2日前の4月1日、私は還暦を迎え、それを母に伝えると少し驚きの眼差しを浮かべ、と同時にさも嬉しげに眼を細めていたことが今も眼裏に映っている。そして2日後の3日に父、兄のもとに旅立った。
母を亡くした時、すっかり喪心し茫然自失の私は多くの慰めや、励ましの言葉によってどれほど救われたことか、そして今でもその言葉は私の心の支えとなり、確かに今日を生かされていることを思うと、その言葉の一例を紹介せずにはいられない。
・「物事には順番がある。順番が自然で、ちゃんと見送ることができて、それは良かったこと。」
・「いつかは訪れることであり、誰も決して避けて通れない。」
・「この世で肉体が離れてしまったけれど、あちらでまた会える。」
・「目に見えなくても、いつも見守っていてくれる。」
・「天寿を全うし、晩年まで元気で過ごせたことはとても幸せなことであった。」
・『ハリーポッターが敬愛する、数百年生きた魔法使いの長老が亡くなった時、悲しみ嘆くハリーに、人格者の魔法使いがかけた言葉。「君は長い長い一日がやっと終わって、くたくたに疲れている夜、ベッドに入って休むことができる時、幸せに思わないか?敬愛する魔法使いも、寿命を全うして、やっと眠りについたんだ。そのことは、ほっとできる、幸せなことだったに違いないよ。だから、お前が悲しむ必要はないんだ。それは自然なことなんだから」』
今一つ、昨年の「別れ」愛車(マークX)との別れを紹介したい。
昨年9月7日、19時頃であったか、名古屋高速烏森料金所から本線に入る直前、エンジンが突然止まってしまい、減速を始めた。そう、「あたかも今際の際の心臓の音がだんだんと弱まっていく」かのように。「もう、そろそろダメなようです。そろそろ一生を終えるみたいです。」とそんな声が聞こえたような気がした。後続からは本線に入ろうとする車と、レッカー車が到着する1時間余り、傍らを猛スピードで走りぬける車とに恐怖さえ覚えた中で、愛車との12年間を振り返っていた。
廃車時の走行距離「254,515km」。地球一周は約40,000km、何と6周も回った計算になる。
「君は一生懸命によく走ってくれた。私の仕事にも付き合ってくれ、長距離旅行にも、最愛の人たちを乗せ快適に走ってくれ、数え切れないほどの思い出を作ってくれた。事故にもあったが(君は大けがをしたね)、君のお陰で助けられた。君は体を張って守ってくれたね。地球6周分の思い出をこの数行に感謝をこめてしたためておこう。本当に、本当にありがとう。“もみじ葉に感謝を乗せる廃車かな”(10/3日記より)」
我が家の2階には3部屋あるが、今日現在、足の踏み場がないほど物置部屋と化している。通夜の時に、1階にあった遺品等を2階に詰め込んだままなのである。もう何年も捨てられずにいる。いざ、遺品と向き合うと、物を大切にし、物を捨てることを嫌った母の言葉を思い出し、手が進まない。どうやら、大正、昭和、平成の三代を生きてきた遺伝子を受け継いでいるのか(聞こえはよいが)、さにあらず、ただ生皮なのである。
来月6月の末には兄の祥月命日の法要と父の13回忌法要を営む予定をしている。断捨離という言葉をしばしば耳にする中、三代に亘る遺品整理が「令和」の私の終活である。
月刊花火句会 これからの刊行予定
★6月16日:2019年6月号(203号)
『6月定例句会(6月8日)報告』
★6月30日:2019年6月増刊号(204号)
特別企画『座談会』・・・花火句会発足の頃を振り返る
句会の予定
【日時】 2019年6月8日(土) 18:00~
【会場】 金山アカデミーセンター4F
【兼題】 『鵜飼一切』を含む当季雑詠5句