その⑧ 原藻六
自選100句 〈2004.7―2010.12〉
薄氷を詠みながら、行き処なき水に思い入れ。ほんと、人間も行き処がないと、凍えますよね。
冬の岐阜県高山の早朝の市。まだ薄暗い中、白い息を吐きながら軍手のおばさん達が商っていました。
長調の明と短調の暗。口ずさむのは短調が多い、根が暗いのか。
いろいろ大変だとは思うけど、テレビカメラに手を振っていました。
舟を浮かべ両岸に咲きほこる桜を見上げる、それが最高の花見だと力説するひとがいました。
どろんこの長靴、あれが残した泥のかたまりは、掃除するのが大変。でもいいんです、賑やかで。小中学生時代の息子の友人たち。誰れもがもう大人になってしまいました。よって泥の置土産もありません。
雷は夏の季語。でも春雷の方が胸に響きます。理由は分かりませんが。
文句を言っても平然としている。こういうのを、蛙の面にしょんべんといいます。
東夷西戒南蛮北狄、中央に従わない辺境の民。黄砂は、遊牧民、騎馬民族が巻き上げる砂塵であると。そう思えば黄砂も我慢できるか。
ありもしないものを追っかけていると、やがてそれが一つの道になる。そんなことはありえないか。
―夏―
震災をのがれ15ヶ月間自主避難してきた福島の義母に教わり、どくだみ化粧水なるものをもう六回も作っている。作り方は簡単だが、ここ市街地ではどくだみを入手するのが難しい。他人の庭に勝手に入り込むわけにもいかないし。でも作っている。入手方法は秘密である。
あじさい(七変化)は移ろいの花である。
能登の夏は短いのです。
昔住んでいた家には畳の座敷と陶枕がありました。陶枕って、昼寝にいいんですよね、ひんやりとして。
その貸しボートをおとこがひとり橋の上から眺めていました。いえ、別に知りあいではありません。
若くして逝った友人、子供はまだ小さかった。それが今では…
少年時代、豊橋の朝倉川には蛍がいっぱいいました。笹を持って蛍狩りにいきました。30年後訪ねたら、延々とコンクリートの蓋がされて暗梁になり、その上を車が走っていました。
蒲郡競艇場近くの駅。財布はからっぽ。そんな渇いた心を癒してくれました。それにしても誰れが撒いたのか。
あの大筒を抱え込んでいる花火師、スターですよね。豊橋に住んでいる時、二回見物しました。
生きるって、難しいですよね。捨てたつもりでも心の中には残ります。
―秋―
輪踊りやまた一周の別れかな
風の盆や郡上踊りのような練り歩きもいいものですが、町内の輪踊りも悪くない。ひとりひとりの顔が見える、あの密度というか濃度というか、好きです。
特別なんでしょね、盆踊りは。
かぐや姫「神田川」の世界、演歌俳句ですね。若き日はもう返ってはきませんが、大衆食堂のサンマ定食なら今でも食べられます。それで我慢するしかありません。この句について知人より、これ俳句じゃないでしょ、の評。そう言われるとそうかも。
さっとは散らない。この世に未練たっぷり、かえってそこがいい。
カンナにはカンナの事情がるとは思うけど、どうも花と茎のバランスがねぇ。
酪酊に揺るる乳房の暮早し
もやい結びのもやいは漢字では舫いと書き、船を岸壁につなぐ時の綱の結び方。
冬の北陸の、とある大学の駐車場で鉄砲をかついだ猟師に出会った。熊がでたんだと言う。その人の毛皮の帽子がすごかった。帽子はファッションじゃねえ、戦闘帽なのよね。
本当は人嫌いじゃなく、作業中は集中してるんであります。気軽に話しかけてはいけません。
仕事で、真冬の、石川県は白山の麓に三年通いました。朝宿舎を出て仕事先に向かう雪の畦道で牛と遭遇、一面の雪景色のなか、あの牛はどこに曳かれていったのか。
冬の北陸本線の車窓から。雪原の中でも川は流れているんですね、細々と。
子供の頃習字教室に通い、友達の顔に次々と墨を塗ったら、あとを3才年上の姉が謝って回っていました。その姉を、六甲の鵯越(ひよどりごえ)斎場で送りました。寒い日でした。
朝、仕舞い忘れたのれんを見ると、独特の趣があり、ある種の感慨にとらわれます。そんなのは酒飲みだけ?
―正月―
うず高き雪壁の内(なか)去年今年
灯をつなぐ百目蝋燭去年今年
扉開く心音しかと年立てり
今日から新年と思えば、始まりを告げる心臓の鼓動の音が聞こえたような。錯覚です。だけど人間、聴こえない音を聴くって大切ですよね。襟を正せば聴こえます、のかな?
元旦に商う翁の恵比須顔
ぽんと来てほんのひとさし万歳師
踊り子の荷にくくられし注連飾
この注連飾が解かれるのは、何処の地でしょうか。正月早々、居酒屋で会った踊り子が話してくれました。巡業中は家に帰らないそうです。
父と娘の確執を消し初電話
戒名を書初として僧の筆
本来なら「新年」「干支」、「夢」とか「希望」とか書くんでしょうが、仕事柄こうなるんではないかなと。いえ、単なる想像です。
俳句を始めたのは60歳の時。花火句会の立ち上げに向けて、四苦八苦しながらも5句作った。それから13年余、俳句の方は一向に上達しないが、句会後の飲み会、句友とのつきあいを楽しみに参加し続けている。
今回の100句はその13年余の前半、2004年の夏から2010年末までの6年と数ヶ月の間に詠んだ作品(らしきもの)、約500句の内から選んだ。選ぶといっても、特に基準があったわけではない。ただ何となくである。上手いとか下手とか、自信があるとか無いとか、そんなことでは全くない。くどいようだが、ただ何となく、たまたまの100句である。
ところで、ひと昔前の句から自選していて感じたことが二つ。一つは各々の句の舞台裏とでもいうのか、それが思い起こされたということ。この句はあの時の句だなとか、これは吟行でのだなとか、この句は句会での評価はさっぱりだったなとか、いろいろ。中にはすっかり忘れていたこともあったりして。誤解を恐れずに言えば、句そのものよりもそうした背景の方が貴重に感じられたりもしました。もう一つは、この句今ならこう詠むのにという思いにしばしばとらわれたこと(もちろん、だからといって直しはしませんでしたが)。当然ですが、あらゆるものが時間とともに変わるということ。人も俳句もその例外ではない。その時、その情景、その時の己を写し取る『瞬間芸としての俳句』、そんなフレーズが浮かびました。
“多作多捨”の境地にはとうてい及ばない小生ですが、500句以外にも作った句はかなりあったはず。最後に、今は知る由もないそれらの句に次の一句を捧げて、今回の自選100句とします。
葬りし数多の句にも盆供養(藻六)
伝言板
月刊花火句会12月増刊号は、例年通り、年末特集「2017年花火句会この一年」です。会員・投句者の皆さんは、
①この一年を振り返っての感想(500字以内)
②今年の自選句(10句以内~自註も可~)
を12月25日までに、事務局までメールまたはFAXにてお送りください。
よろしくお願いいたします。
※初めての方は、このブログの2016年12月増刊号(144号)をご参照ください。
(事務局より)
その② 12月句会兼忘年会のお知らせ
恒例の句会兼忘年会、この号の冒頭にあるように今年は開始時間が早まりましたのでご注意ください。花火句会、今年一年の締めくくりです。会員の皆さんは奮ってご参加ください。特に、最近句会に顔を見せていない人、ヨロシク~!
〔句 会〕金山アカデミーセンター4Fにて PM5:30~7:30
〔忘年会〕素材屋(金山駅前)にて PM8:00から2時間程度
《特注》
●予約の都合上、参加される方は12月2日までに小麦までご連絡ください。
●句会、忘年会、どちらか一方のみの参加も可です。
月刊花火句会 これからの刊行予定
★12月16日:2017年12月号(167号)
『12月定例句会(12月9日)報告』
★12月31日:2017年12月増刊号(168号)
年末特集『2017花火句会この一年』
句会の予定
※開始時間が30分早くなりました。ご注意ください。
【会場】 金山アカデミーセンター4F
【兼題】 『根深汁』を含む当季雑詠5句
投句の受付
◆投句料は不要、投句される方は、メールにてお願いいたします。
◆作者名は本名でも俳号でもかまいません。
◆投句数は5句でお願いいたします。
◆締切りは12月7日(木)とさせていただきます。
◆投句いただいた作品の内、句会での入点句は、次回のブログにて
発表させていただきます。
◆受付メールアドレス:haikuhanabikukai-aichi@yahoo.co.jp