月刊花火句会

花火句会は2004年夏、花火シーズンの真っ只中で発足しました。 集まったのは、当時40代から60代の10名余り、全員がそれまで俳句なんぞ作ったことがないというど素人ばかり、それでも俳人山口勝行氏の指導を得て、月1回の句会、年1~2回の吟行を行っております。 句会は、参加者が事前に用意した兼題1句を含む当季雑詠5句を提出、全員で選句します。 選句された句は、入点句として、次回の会報で発表されます。 会員による選句とは別に、山口勝行氏選の優秀句(1、2句)は、山口賞となります。 句会後には、自由参加で懇親会もあり、当日の会員の句を褒めたりけなしたり、まさに議論百出です。

2016年10月


イメージ 1


第十回 デュオ「ドクキゼオス」
(尾関“TATA”真とドクター兼松)に聞く


by原 藻六


――まずは今回のキューバ行きについて。

Doc
9月10日から25日までの2週間ちょっとの旅でした。セントレアから羽田へ、そこからトロントを経てキューバの首都ハバナへ。さらにそこから第2の都市サンチアゴ・デ・クーバへ。所要時間は大体羽田―トロント間が13時間、トロント―ハバナ間が3時間半、ハバナ―サンチアゴ・デ・クーバが1時間です。日本ではキューバっていうでしょ、でも現地での発音は「クーバ」なんですよ。クーバのサンチアゴでサンチアゴ・デ・クーバ、そこが今回の主な目的地だったんです。費用は一人25万円、三人で行ったんで(ドクキゼオスの二人とみさちーた)75万円。この間せっせと貯め込みましてね、それでです。宿泊費が安くてホテルで5千~2万円、日本の民宿のようなとこだと2500円くらいで泊まれる。目的は音楽交流、今現在のキューバ音楽についての情報収集、どんな曲が流行ってるかとか、どんなムーブメントが起こってるのかとか。

タタ
音楽交流の方は地元のイベントイメージ 2やお店なんかのショーに飛び込みで参加させてもらったり。事前の予約はなし。わたしは今回で7回目のキューバ行きなんでそれなりの人脈、ルートはあるし…。それに同行のみさちーた、スペイン語を含めての交渉力がバツグン。話をまとめてきてはあっちに行け、こっちに行けって。二人はそれに従うだけ、敏腕プロデューサー並みでしたね。

Doc
わたしは今回で4回目のキューバなんですが、キューバは音楽と踊りの国なんですよ。ちょっと演奏してみせて、これはいい、面白いとなったら即出演OK。面倒なことは言わない、そこがいいですよね。


――日本との関係はどうなんですか?

タタ
日玖関係は悪くないと思うな。(キューバの日本語名は玖馬)。まずは、あの憎っくきアメリカと戦争したという歴史的事実、これが大きいんでしょうね。日本は負けたけど。それに戦後の座頭市やおしんといった映画やドラマ。特に貧しい国ですからね、おしんの人気は絶大です。それにキューバは野球が盛んなんで、中日ドラゴンズのリナレスとかビシエドといったキューバ出身選手たちの存在、これが大きい。そんなこんなで、日本とか日本人に対するイメージはいいんだと思うな。

Doc
わたし達アジア人って、キューバの人から見たらみな同じに見えるんだと思うんですよ。日本人も中国人も韓国人も。そこでみんなチーノ(中国人のこと)になっちゃう。でも、わたしは日本人ですと言うと、途端にニコニコする、そういう面ってあるんです。理由はよく分かりませんが…、たぶん日本びいきなんだと思います。

タタ
中国人というと打算的、お金にシビア、金払いが渋いというイメージがあるのかもね。逆に日本人はお人好しという。ハバナには中国人の店も結構あるんで、そっちの方からのイメージからかもしれないけど。ともかく日本人には好意的だよな。

Doc
ただ、だからといって、これからはというと、楽観視ばかりもできない気がする。オバマ大統領のキューバ訪問もあったし、偶然われわれと同時期になった安倍首相のキューバ訪問もありましたよね。今後日本とキューバの関係も変わっていくと思う。今の日本への好印象、これを大切にしていきたいですよね。その為には経済面だけじゃなく、スポーツや文化、特に音楽とか芸能面などでの交流が必要、経済だけってのはちょっとね。


――キューバ人って、どんな人たちなんですか。

Doc
多民族国家だし、混血も多いし、それに結構格差社会でもあるんで一概には言えないんだけど、一般庶民の一般的な傾向としては『逞しさ』、これは感じますね。上手く言えないけど、境遇に押しつぶされるんじゃなく、それを撥ね返そうとするとでもいうか。それと日本のようにモノが溢れてるわけじゃない、しかしその分、物を大切にするし、再利用にも熱心。あるものに工夫して有効活用、そのための努力もおしまない。好奇心も旺盛なんですよ。何にでも首をつっこんでくるという感じ。陽気で人なつっこい。

タタ
ただね、日本人のようには空気を読めないから、時には迷惑に感じることもある。例えば物を売りつけられた時なんか、いらないものはいらないとはっきり断らないとダメ、こっちの顔つきや態度で分かってよというのは通じない。これ、特にキューバに限ったことではないとも思うけどね。

Doc
ちょっと見栄っ張りの傾向もありますよね。普段の服装は地味なんだけど、いざという時にはありったけ、フル動員でおしゃれするとか。お祭りとか結婚式なんかですかね。そういう時って、実に前向きでアグレッシブ、全力投球って感じ。みんなで集まってワイワイやるのが好きなんですよ。そんな時に自己主張が凄いんです。


――そんなキューバとキューバ音楽にお二人が魅せられていく、そのきっかけは?

タタ
わたしの場合はサルサ。サルサというのはラテン音楽の一つなんだけど、1970年代ですかね、ずいぶん流行ったのよね。ニューヨークで中南米出身の音楽家たちが作り出したものです。それ聞いてて、いいなぁと思って。しかしですね、リズムがよく分からんのですよ、リズムが。それでそれ探ろうということで、どうせならニューヨークじゃなくて本場のキューバに行こうと。44才、今から22年前のことです。それがきっかけ。

Doc
わたしはソンですね、ソン。キューバの東部で19世紀に生まれたものらしい。マンボやチャチャチャもこれから派生したといわれてるんですがね。何といってもメロディが美しいし歌詞もいい。恋の歌が多くて、女心を切々と歌いあげる、そこにグッと引きよせられました。日本でいうとブルース、それに通じるものがある。途中から激しいダンス曲に切り換わるんですが、その変わりようも魅力ですよね。静から動。キューバはスペインの植民地だったんで、スペイン舞踊の影響でしょうか。

タタ
独特の民族楽器も多い。弦が2本ずつ3コースに別れていて計6本のトレスギターとか火で焙って使う太鼓のボンゴなんか。ネイティブ感があっていいものです。これはアフリカ経由だと思うんだけど。わたし達の耳に入ってくるキューバ音楽ってアメリカの影響が強い。ニューヨークでうけたとかうけなかったとか。それにアメリカナイズされてる。それはそれでいいんだけど、できれば生のキューバ音楽、ラテンミュージックに会いたい、そんな想いが強くあった。それでキューバに行って見事にはまっちゃったって感じですね。


――お二人がデュオ「ドクキゼオス」を結成するまでの道のりは?

Doc
二人とも「ドスキゼオス」出身。ドスキゼオスというのはマエストロ須藤と尾関タタを中心とした総勢9人のキューバラテン音楽のバンドです。それが2008年に分裂して別々の道を歩み始めた。原因? う~ん、須藤さんとニイサン(タタのこと)の、夫婦ゲンカみたいなものですかね、ハハ。

タタ
音楽の方向性でちょっと違和感というのもあるけど、今考えると子供じみたところもあったよね。お互いのわがままとか、時間の使い方とか、仕事との関係とか。それで行き詰って、なら別れようと。それからはそれぞれ4、5人でグループを作って、別々に活動してた。わたしはキューバ人やスペイン人にも参加してもらってやってたし、須藤はこのドクターなんかとやってたわけ。けどね、別れて数年、やっぱり寂しいわけよ。それでもう一度一緒にやろうと、須藤と話し合う機会を窺っていたんです、実は。けど、彼、病に倒れちゃった…。それが2013年、分裂して5年後のことでしたね。それでその年の9月に須藤が逝って、その追悼の会をやろうということになった。そこでわたしとドクターが唄を歌った、これがデュオ結成のきっかけ。これも何かの因縁なのかなぁ、須藤との。

Doc
音楽で一緒にやろうという時は一度は共演してみないと分からない。あの時は確か、わたしが亡くなった須藤さんの代わりみたいに唄い、ニイサンと共にハモる、そんな風だったと思うんっだけど。それが意外に上手くいった…。なら、これから一緒にやってみようかと。声をかけてきたのはニイサンですよ。二人は17違うんです、年が。ニイサンは66才で、わたしは49才。音楽やるのに年は関係ない、基本的にはその通りですが、先輩ですからね、ニイサンは。人生でも音楽でも。ただ、音楽的にソリが合わない、この人とはやれないと思ったら断ればいいんで。それをそうしなかったのは、フィーリングというか、どこかで共感するところがあったからですよね。それから二人で活動を始めたんです、デュオ「ドクキゼオス」として。


――すると結成から3年ですか、それ振り返ってみてどう?

Doc
音楽的にも上手くいってると思いますよ。まず唄は同列ですが、主に低音部がタタ、高音部がわたしということでやっていますが。もちろん人間ですからね、違いはありますが、それぞれの個性が引き立つのがデュオだと思います。わたしは前にもいったけど、ソンが好きなんですよ。それもどちらかというと古いソン。なのでできるだけ原曲を尊重していきたいと思ってる。ニイサンはね、歌詞に合わせて即興的にメロディを変える、そういう面があるんです。

タタ
ポイントをどこに置くかだよね、原曲にこだわるか、それとも自分の感覚に合わせていくか。どちらにも一長一短があって、どっちの方がいいとは言えない。お互いに折り合ってやっていく、それしかない。実際問題としてはお互いに牽制しあったりけしかけたり、かえって緊張感があっていいよね。そういえばこういうことがあったんですよ、この前のキューバで。キューバの古い曲に日本語歌詞で歌うところを、急遽、途中からスペイン語の歌詞に戻して歌いましたが、それまで日本語だったキューバの曲を途中から急になじみのあるスペイン語で歌われたので、現地の人に、とてもうけたんです。もう絶賛。

Doc
そうでしたね、これ日本じゃ考えられない。キューバの曲を、キューバ人はスペイン語で、日本人は日本語で大合唱。何とも言えない混ざり具合で溶け合ったんです。

タタ
そうそう。外国人の自分たちは、キューバのソンを歌っていても、所詮わたしらがキューバ人になれるわけじゃないんでどこかで日本化されてる。それをどうやって、両立させて歌うかってのは難しい問題だよね。ドクターはそもそもソンのブルースに通じるところにも強く惹かれた訳だから、そんな部分も大切にしないとね。そこは分かってるつもりなんだ。

Doc
キューバの音楽っていうと歌詞とメロディと踊りが一体化している。スペイン語で歌ったときの、語感というか、リズム感がすごく重要なんです。だから、日本語に置き換えても、そうしたリズム感が失われないような、それでいて日本語の歌詞として成立するような、そんな部分を大事にしています。だから、キューバ人も日本語は理解できなくても、曲を楽しむこともできるし、日本人は歌詞もリズムも楽しめるっていう感じ。どちらを大切にするか、この辺は、お互いの曲作りでのこだわり方に差が出るところかもしれないです。

タタ
だろうね、なかなか単純なもんじゃない。まいろいろあるけど、格好よく言えば、お互いに切磋琢磨してやっていくしかない、これです。どっちにしたって、歌が歌えなくなったら二人のデュオも終ってしまうわけだから。これからも大事にしないと、お互いに。


――今、現在の音楽活動は?

Doc
月1回、第3木曜日の20時、伏見イメージ 3のシガークラブでライブをやってます。それから2、3ヶ月に1回くらい、違う場所でライブをやったり、他のグループと共演したり。仕事があるんで、それで精一杯。シガークラブはおひねり制でしてね、売上げはお客さんまかせ。あそこはヒルトンホテルの裏なんで、日本人の他にも外国人の泊り客なんかが聴きに来てくれるんですよ。キューバ音楽、ラテンミュージックなんで丁度いい。


タタ
そうそう、それで万札なんかを放り込んでくれたりして。おかげで赤字にはならない。助けられてる。リハ(リハーサル)は月に3回程、1回3時間程度ですね。両方があいている土曜日にやってます。


――これからの目標は?

タタ
とにかくね、キューバ音楽の広告塔というか、日玖の音楽交流の窓口の一つになりたい、そう思ってる。ちょっと宣伝めくけど、今度キューバで90年続いている有名なバンドに2曲ほど参加することになるかもしれなくて。そのバンドは今年のラテングラミー賞にノミネートされてるバンドだから、もしかしたら話題になるんじゃないかなんて、淡い期待を抱いている。賞うんぬんじゃなく、キューバ音楽にスポット当てるという意味だけど。

Doc
それと、自分たちのCDをリリースしたいですね。ここ名古屋での音楽活動って制約があるし、だからって全国を飛び回るわけにもいかない。CDでより多くの人に聞いてほしい、そういう思いはあります。これは近い将来にぜひ実現したい。ある程度のものはもう録音して、キューバでも多くのミュージシャンに聴いてもらってきました。できるだけ早く完成させたいです。


――分かりました。では最後に、お二人の、ぜひ一度は聴いて欲しいという曲をあげてください。あくまでも現時点でということで。

タタ
真実一路、走ろうチャチャチャ、オーロラ、この3曲でいきますか。どれもいいと思うよ、ぜひ聴いてみてよ。

Doc
オーロラ、ふるさと、おやすみぼうや、この3つですね。それにもう一曲加えさせてもらって、二十年、これもオススメです。


《インタビューを終えて》

俳句のはの字もでてこなかったけど、このお二人、れっきとした花火句会のメンバーで、俳号は太々と独太。それで今回のインタビューとなった訳です。みさちーた(これも花火句会のメンバー)もまじえての、約2時間のインタビュー。お話は面白かったんですが、話題があちらに飛びこちらに飛びで収拾不能状態、インタビュアーとしての能力不足を感じさせられました。あと一時間は欲しかったという印象。ではありますが、日本では少ないキューバラテン音楽のデュオ「ドクキゼオス」、その活動の一端でも伝われば幸いです。インタビューにお応えいただき、有難うございました。
(2016.10.8 藻六)






伝言板 


「花火句会」「深海」合同句会のお知らせ

次回の句会は「花火句会」「深海」の合同です。それぞれの俳句の世界を拡げるよい機会、どんな句に出会えるか楽しみです。
奮ってご参加ください。詳細は後記の《句会の予定》をご覧ください。



月刊花火句会 これからの刊行予定 


11月19日:2016年11月号
  『11月定例句会(11月12日)報告』

11月29日:2016年11月増刊号
   『月刊花火句会番外編』
   第十一回 深井沓九郎

 

句会の予定


【日時】 2016年11月12日(土) 18:00~
【会場】 金山アカデミーセンター4F
兼題】 なし。当季雑詠5句を前もって用意すること。
      ※今回は冬の句となります。



投句の受付 


◆投句料は不要、投句される方は、メールにてお願いいたします。
◆作者名は本名でも俳号でもかまいません。
◆投句数は5句以内でお願いいたします。
◆締切りは11月10日(木)とさせていただきます。
◆投句いただいた作品の内、句会での入点句は、次回のブログにて
  発表させていただきます。
◆受付メールアドレス:haikuhanabikukai-aichi@yahoo.co.jp




イメージ 1
【日  時】 2016年10月1日(土)
【会  場】 金山アカデミーセンター4F
【出席者】 勝行先生、みさちーた、三枝、一筋、藻六
【投句者】 仁誠、小麦、カモメ、U太
【兼  題】 『松手入』を含む当季雑詠5句
 
 
今回欠席の仁誠に11時頃ケータイしたら、情けない声で「たった今退院してきたところ、イタタ~、イタ~ッ!」ヘルニアで2泊3日の入院・手術だったとか。お大事に。当分農作業は無理、俳句に専念されたし。新築した豪邸(?)への晴れの引越し、藻六んちをウサギ小屋とぬかしていた按庵だが、ケータイの声はどこか屈託した感じでさえない。悩みがあれば、餃子の王将で、何の役にも立たない藻六が話だけは聞いてやると言ってましたので、お伝えしときます。餃子代は按庵だそうです。小麦の欠席はパン作りのためとか。頑張りますよね。この小麦、今度は何と落語に挑戦するとか。ようやりますなぁ。この三人をはじめ常連組が大量欠席。そのせいで句会は、山の分校の生徒数4人の授業風景そのまま(経験はないけど)。この分では“そして誰れもいなくなった”も近いぞ。


 
一席 


秋高し骨と筋肉意識して/小麦



二席 


秋めくや空突き抜けるジャンの音/藻六



三席 


愛弟子の手元見上ぐる松手入/みさちーた
行く秋や庇の下へ植木鉢/仁誠
松手入れ左手は顎右鋏/カモメ



今月の入点句は特選句) 

 
山口勝行
松手入終へたる風の香の著(しる)き
子等植ゑし足跡残る刈田かな
健脚の頃懐かしみ野路の秋
草の名のど忘れ笑ひ合ふ花野

加藤小麦
秋高し骨と筋肉意識して
松手入れ軍手に刺さる枯松葉
老木を励ますように松手入れ

原藻六
灯台の螺旋階段秋暑し
秋めくや空突き抜けるジャンの音
水百里澄みわたりたり信濃川

兼松みさちーた
私にも見せぬどんぐり宝箱
愛弟子の手元見上ぐる松手入
バンダナの赤映えにけり松手入

河村仁誠
夜長し積み上げ伸びる本の影
手の止まる競馬中継松手入れ
行く秋や庇の下へ植木鉢

仲野カモメ
松手入れ五葉ねんごろ老庭師
松手入れ左手は顎右鋏

中谷U太
九十二歳の人から栗ごはん
雨戸すこし開けて満月入れてやる
通草(あけび)だと指差してゐる飛騨生れ

上田三枝
老夫妻休み休みの松手入
青き空案山子の列の観光地

御酒一筋
甘藷掘り椎間板をきしませて



山口勝行選評


老木を励ますように松手入れ/小麦


今回の兼題の「松手入」、なかなかに良い句が揃いました。庭仕事のなかでも特に難しい作業とされている松の手入れ。このご時世、特に都会では広い庭に松を植えるのは少なくなっていますが、それでも熟練の庭師の鋏の音を耳にすると秋を感じさせられます。老木へのいたわりをこめての、丁寧かつ慎重な作業、今回は投句だった小麦のこの句を、今回の最優秀句としました。

上五、中七、下五を入れ替えてみる、そのことで句がぐっと良くなることがしばしばあります。わたくしが点を入れたみさちーたの「バンダナの赤映えにけり松手入」「松手入バンダナの赤映えにけり」に、点は入りませんでしたが仁誠の「付けて売るおから自慢の新豆腐」「新豆腐自慢のおから付けて売り」にと入れ替えました。またこれも点が入らなかった小麦の「裏山に曼珠沙華なる赤い川」「赤い川なし裏山の曼珠沙華」と、上五を中七に、中七を下五に、下五を上五に移動しました。この三句、原句と添削句を詠み比べてください。

もちろん私見ですが、良い句というのは平明で分かりやすく、それでいて深い余韻のある句。まずは読者が理解できることが大切です。これは何を詠んでいるのかよく分からない、こうも解釈できる、ああも解釈できる、そうした印象を与える句は避けたいものです。U太の「九十二歳の人から栗ごはん」、この句意をめぐって九十二歳の人から炊いた栗ご飯を貰ったとの解釈もでて、意見が分かれました。「九十二の人から食べる栗ごはん」として、敬老の意、栗ごはんをいの一番に九十二歳の老人に食べてもらう句としましたが、どうでしょうか。作者の意図とは違うかもしれません。

いわずもがな、ということはしばしばあります。三枝の「おかわりと新米食し見るおなか」、軽いユーモアのある情景が浮かびますが、(おかわり)とくれば当然食べることになります。よって(食し)が余分です。俳句はたったの十七文字ですので、余分な語句はできるだけ削ってください。

地名、固有名詞の入った句がつ二つ。藻六の「水百里澄みわたりたり信濃川」とU太の「通草(あけび)だと指差してゐる飛騨生れ」。信濃川は日本最長、百里に及ぶ大河なのでこれでいいのですが、あけびは山地では一般的な落葉低木。特に飛騨に限ったものではないので(飛騨生れ)である必要はありません。「通草だと指差してゐる鄙(ひな)育ち」としました。(生れ)よりも(育ち)の方がこの句には合っていると思います。

 

句会を終えてひと言


自信のイリュージョン俳句、「彼岸花海の底にも咲いている」。そんなアホなとせせら笑った奴がいたけど、そいつは創造力、想像力不足。分かっとらんのだわ。この時期、彼岸花があちらにもこちらにも咲き誇り、あたりをへい睨しとる。それ見てると、まるで海底に鎮座ましましてるという感じがする、そういった句であります。これ0点? 平気、平気! これからは、点が入ったらほうよく理解できたなと思い、入らなかったらまだまだ理解力が足らんなぁと思うことにした。人間賛歌の句、U太の「九十二歳の人から栗ごはん」が特選。どういう人間賛歌だと問われるとちょっと困るけど、九十二歳のご老体がこの季節になると栗ご飯を炊きそれを周りの人におすそわけする。スンバラシ~! いやあ、食べものは文化、食べものは思い出、そして生命そのものなんですねェ。 (一筋)

参加者と投句者が同数という、さみしい句会。みなさん、出てきて下さいね。テレビで見たのですが、たくさんの観光客が道路わきに並んだ案山子を見物に押し寄せている映像。それ見て作ったのが今日の自信句「青き空案山子の列の観光地」。秋の青い空に誘われて案山子を見にでかける。他にいくところがたくさんあるのに選りに選って案山子、そこが面白いと思いました。稲刈りも終ってさみしい田んぼ。その刈田に、田植えをした時の子供を含むみんなの足跡がくっきりと残っていた。それを見るとその時のにぎやかな情景までもが思いだされる…。先生の「子等植ゑし足跡残る刈田かな」を特選にしました。(秋)に見る(春)の痕跡、なんかいいですよね。 (三枝)

久しぶりに参加、みなさんにお会いできるのを楽しみにしてきたのですが…。折角の、キューバみやげも持ってきたのですが…。参加人数が少ないと、私にとっての句会の“癒し効果”、これが弱い気がします。次回はたくさんのみなさんにお会いできますように。癒された~い! 姪っ子が小さい頃のこと、和菓子の空箱に宝物を入れてました。パパにもママにもおばあちゃんにも中身を見せてくれなかった。一番のお友達だったおばちゃん(私のことです)にも見せてくれず、ショックでした。それを思い出して詠んだ句が「私にも見せぬどんぐり宝箱」。中身は、虫のわいたどんぐりでした。特選にとったのは小麦の「秋高し骨と筋肉意識して」。秋の空は高い。その空に届くくらいに、筋肉でしっかり支えて背筋を伸ばし、骨を伸ばし、美しい姿を保ちたいものです。骨と筋肉を意識した生活、これって素敵ですよね。 (みさちーた)

「松手入」の兼題で、松そのものではなく庭師、しかもその両手の動きに焦点をあてたのが面白く、かつ斬新。カモメの「松手入れ左手は顎右鋏」に◎を打ちやした。特に(左手は顎)がいいと思う。考え考えながら慎重に作業を進める庭師の動きをこの七文字に凝縮した感じ、お見事! 自信句はなし。今朝公安委員会から高齢者講習の通知書が。これを受けないと免許証が更新できないんだと。人生の先輩である先生に聞いたら、75歳(あと2年半)になったら認知症の検査もあるんだとか。ああイヤだ、イヤだ、年はとりとうないっ。頭にきたんで、この際免許証返上しようかとも思うけど、行き斃れになった時に身分証明がなくなるしなぁ。つら~い。みさちーたからキューバのおみやげをいただきやした。有難う。いろいろあったけど、駄菓子屋風とでもいうか、洗練されていないのがかえってよかった。三丁目の夕日的などこか懐かしい感じ。おいどんが選ばせてもらったのがゲバラの肖像のキーホルダー。それにしても、あの世界に衝撃を与えた1959年のキューバ革命から57年、1967年のボリビアでのゲバラの死から49年か。高齢者講習通知書が届くはずだわ。ああヤだ、ヤだっ。 (藻六)



伝言板 


①「花火句会」「深海」合同句会のお知らせ

次回の句会は「花火句会」「深海」の合同です。それぞれの俳句の世界を拡げるよい機会、どんな句に出会えるか楽しみです。
奮ってご参加ください。詳細は後記の《句会の予定》をご覧ください。



②「ハッピネス鞠奴の落語」のご案内

イメージ 2



月刊花火句会 これからの刊行予定


10月30日:2016年10月増刊号
  『月刊花火句会番外編』
   第十回
   デュオ「ドクキゼオス(尾関“TATA”真とドクター兼松)に聞く」
by藻六

11月19日:2016年11月号
  『11月合同句会(11月12日)報告』



句会の予定 


【日時】 2016年11月12日(土) 18:00~
【会場】 金山アカデミーセンター4F
【兼題】 なし。当季雑詠5句を前もって用意すること。 
      ※今回は冬の句となります。
   



投句の受付 


◆投句料は不要、投句される方は、メールにてお願いいたします。
◆作者名は本名でも俳号でもかまいません。
◆投句数は5句以内でお願いいたします。
◆締切りは11月10日(木)とさせていただきます。
◆投句いただいた作品の内、句会での入点句は、次回のブログにて
  発表させていただきます。
◆受付メールアドレス:haikuhanabikukai-aichi@yahoo.co.jp



↑このページのトップヘ