第八回
22世紀に残したい3句
増田 智昭
この花火句会に誘われ参加させていただいたのが、ちょうど大震災のあった2011年の秋。この増刊号が発行される頃には、ちょうど5年。つくづく月日の早さを思わずにはおれない。おそらく句会も約50回前後は参加させていただいているのだろう。
そう考えると、この進歩の無さは何だろうと、頭を抱えてしまう。今さらながら、「俳句のイロハ」から勉強しようと、勝行先生に「初級者向けのテキスト」をお願いしたのが今年7月の句会なのです。20年来のドライバーですが、改めて、大昔に自動車学校でもらった教習本を紐解いてみよう。そんな気分である。
そんな俳句への無力的な境地の中でも、そうだよなあと深く共感した言葉があります。我らが俳句の師・山口勝行先生の言葉。
「俳句とは、省略が生命の文芸である。」
勝行先生の言葉をそのまま拝借させていただきます。
「俳句は省略が生命の文芸である」・・・(2011年3月句会ブログより)
俳句は五・七・五の十七音の世界一の短詩型文芸であり、その中で言いたいことを全て表現しようとすれば、俳句は本来、如何程のことも言えないのである。そこで、思いっきり省略しつつ、且つ読者に伝わる言葉を選ぶことが求められるのである。そのためには、自分が何に感動し、何をどのように言いたいのかに焦点をしぼり、それを表現するには何が余分で、何が必要かをよく考えて、それに一番よく合う言葉を選ぶことが大切である。
たった17文字で、あふれる思いを伝えるなんて出来ないよ。今もって、そう思っている。いかに省略するか。勝行先生は、四角い箱の中に「文字」という積み木をつめるのだけれども、いかに「空間」を空けておくかで、省略されたものが、奥深く、幅広く読み取れる、即ちそこに余韻が生まれ、連想が広がるのである。ここに俳句を作ったり、俳句を読んだりする醍醐味が生れるのであるとおっしゃっている。
「そうだよなあ、確かに。」曲がりなりにも5年近く句会に出てみて、以外は初心者然であるが、このことだけはよくわかるようになった。
もう一つ。結局、自分は人間に興味があり、その人間の営みや心の振動をうまく詠み込んだ俳句が好きだということ。その俳句に、人生行路の味わいと言うか、温かみを感じる句に魅かれるということも、自分の性向としてよくわかってきた。
そんな「省略の技巧」と「人間臭さ」という2つの観点から、22世紀に残したい俳句。中でもこの花火句会で生まれた句を3句挙げたいと思う。
この3句は理屈抜きに、大好きです。
句会同人である(人生としても)大先輩のご本人(作者)の許諾を得ずに、勝手に推挙・品評する無礼を深くお詫びしつつ披露し、17文字の外の感想を述べてみたい。
1.春はいま夜行列車の一輌目 (作者:藻六 さん)
私は、この句と
「春泥を蹴上げて大志村を出づ」
「春立つや見切り発車のベルの音」
とを合わせて、藻六さんの「春の3部作」と勝手に呼んでいる。
ここでいう「春」とは何だろう? ここに「省略」の技巧があり、「空間」が生まれている。地方から進学のために上京する希望に満ちた「春」なのだろうか? はたまた、東京に夢破れ、失意のうちに一路向かうところの、北の故郷で目指す再起の「春」なのだろうか? それとも、一足早く咲いた桜の花びらが、文字通り一輌目にはたと舞い込んでいるのだろうか? そうだとするなら、南から北に向かう夜行列車だな。想像の空間は広がるばかりである。
夜行列車(ブルートレイン)が相次いで廃止され、「春」を届けてくれる列車も少なくなってきた。これからも、きっとそれは変わらないだろう。
だから、この句の味わいが分かる人も、若い年代にはどんどん少なくなってゆくだろう。でも、きっと様々な「春」のありかは変わらない。22世紀に詠み継いでゆきたいと素直に思った。
2.秋天や父を乗せたき雲のあり (作者:小麦 さん)
先の句が「藻六さんの春の3部作」ならば、
「照れながらまたなと父の夏帽子」
「父見舞ひ立春ですと窓あける」
と合わせて、小麦さんの「父の3部作」である。
この句も、雲の形や秋天と雲のコントラストなど写実的な部分に、一切の言及が無いところがいいなと思っている。私に想像の「空間」を与えてくれている。
しかしそれにしても、父と娘というのは、やはり息子との間のそれとはまったく別の関係なのだと思い知らされるのがこの句。小麦さんにとっての「父」は、きっと少女のころから変わらないものなのだろう。そこはかとなく互いを思いやる気持ちが、我々にずんずん伝わる。当時、病床におありだったとのことだが、父を献身的に看護する微笑ましい様子がまさに目に浮かぶ。
翻って、どうして男同士は、いつまでも不器用なのだろうか。田舎の父親を思い浮かべながら、電話でもしようかと思ったが止めてしまった。心がしゅんとする句である。
3.平凡な日こそ夕陽の美しき (作者:沓九郎 さん)
この句の良さが分かるという事は、確実に中年以上だろう。私の仲の良い入社同期(現在・ベルリン特派員)に、「年齢を3で割ってみると、それが人生時間だよ。」と聞いたことがある。この句は、人生時間の夕陽の頃の豊穣が分かっている世代にとって、染み入る句だと思う。
「人間探求派」を自認する沓九郎さん。ほかにも、聖夜シリーズではないが、
「幸せな子ばかりでなき聖夜来る」
「クリスマスソング聴き入るホームレス」
といった句にも、弱者への目線と平凡に生きることの難しさや逆にありがたみが伝わろうというものである。まさしく、か弱き「人間」というものへの観察がその作風の底流にあるのだと思う。
今回の増刊号、「他人(ひと)のふんどしで相撲を取りやがって」という声が聞こえてきそうである。実際その通りなのだが、要は、自分もこんな句を作りたいのである。そして、たった一人でいい、共に心を打ち震わせることが出来るような一句を作りたいのである。
そう思いながらペンを進めると、勝行先生の言葉・「感動を平易な言葉で省略してシンプルに伝える。」が思い出される。もちろんその上で、ただ、それだけでは足りない気がする。
結局は、1日1日を大切に生きることにこそ、俳句の種があるのかもしれない。日々のなんでも無いことに感動して感謝して、それを記録しながら繰り返す。書いてしまえば単調に感じる所作なのだが、案外、俳句の種とはそんなものなのかもしれない。
22世紀に残したい俳句を3句選ばせていただいたが、もちろん、これら以外にも22世紀どころか23世紀、24世紀にも残したい俳句が、この花火句会には数多くある。そんな句会の同人でいられることを幸福だなあと思いながら、飲みかけのハイボールを干して、この原稿の締めにさせていただく。この原稿書いた以上は、少しは真面目に取り組まなきゃなあ。
伝言板
飲み会案内です
てろりん
(沖てる夫こと御酒一筋ことナンタラカンタラ)
と飲もう
9/1(木) 19:00~
新栄『きてみてや』
TEL:052-241-9610
月刊花火句会 これからの刊行予定
★9月17日:2016年9月号
『9月定例句会(9月10日)報告』
★9月29日:2016年9月増刊号
『月刊花火句会番外編』
第九回 山田夏子
句会の予定
【日時】 2016年9月10日(土) 18:00~
【会場】 金山アカデミーセンター4F
【兼題】 『蟷螂(かまきり)』を含む当季雑詠5句
投句の受付
◆投句料は不要、投句される方は、メールにてお願いいたします。
◆作者名は本名でも俳号でもかまいません。
◆投句数は5句以内でお願いいたします。
◆締切りは9月8日(木)とさせていただきます。
◆投句いただいた作品の内、句会での入点句は、次回のブログにて
発表させていただきます。
◆受付メールアドレス:haikuhanabikukai-aichi@yahoo.co.jp