父、竹腰進、68歳。貧乏だけど、ささやかに、気ままなご隠居生活。
私の父は小さな物流会社のトラックドライバーとして、朝も夜も骨身を惜しまず働き、女ばかりの家族3人を養い、64歳まで勤め上げた。現役のころは真面目で仕事一筋、とにかく頑固。よくある話だが、娘の私とは一緒に住んでいても、顔を合わせることも少なく、たまの会話もたいがい口論となり、もの別れで終わったものだった。特に趣味もなく、休日はごろごろしながらテレビを見て、眠くなったら眠る、といった具合だった。
俳句にはほとんど縁のない生活なのです。しかし、俳句がまったく頭から離れてしまってるわけではありません。時々、散歩や畑仕事の最中に「ここで1句」などと思うことはあるのです。しかし句はできません。だいたい、5句作るのにも四苦八苦、七転八倒、もがき苦しみ、のたうちまわって作っているのです。何かに感動しても、すぐに句ができることはないのです。
新聞や雑誌などの俳句欄は見ません。テレビやラジオの俳句番組も同様。ネットも同じ。花火句会以外に俳句ブログのようなものがあるのかどうかも、検索したことがないのでわかりません。しかし、句会の会報「花火」を制作していることから、句友の句(点の入ったもの)には毎月目を通しています。もちろん勝行先生の選評も。制作しながら「みんな上手いなあ〜」「くやし〜!」などと嫉妬しています。また毎回必ず意味不明の季語らしきものがいくつか出てきます。そこで俳句歳時記をひもとくことに。だから俳句は作らなくても、歳時記は見ているのです。
かつての「紅顔の美少年」(私のことです。そこのアナタ、笑わないように)も、もう還暦。もうすぐ年金生活(少額だけど)に突入します。仮に80歳まで生きるとして、毎年5句の今のペースでも5句×20年で100句できる計算になります(最後の方はボケてしまって、できないかもしれませんが)。以前はマメに句会に出席していたので、これまでに作った句を足すと死ぬまでに500句くらい作れるのではなかろうか? こう考えると何だか「俳句のある風景」みたいだなあ〜。
残された人生、どう生きたらいいのかわからないけど、毎年5句ずつ俳句を作りながら、俳句のあるような、ないような風景を楽しみたいと考えております。
最後に一句
還暦を過ぎて戸惑ふ夜長し