月刊花火句会

花火句会は2004年夏、花火シーズンの真っ只中で発足しました。 集まったのは、当時40代から60代の10名余り、全員がそれまで俳句なんぞ作ったことがないというど素人ばかり、それでも俳人山口勝行氏の指導を得て、月1回の句会、年1~2回の吟行を行っております。 句会は、参加者が事前に用意した兼題1句を含む当季雑詠5句を提出、全員で選句します。 選句された句は、入点句として、次回の会報で発表されます。 会員による選句とは別に、山口勝行氏選の優秀句(1、2句)は、山口賞となります。 句会後には、自由参加で懇親会もあり、当日の会員の句を褒めたりけなしたり、まさに議論百出です。

2013年07月

 
時空を超えた俳人への手紙⑤
 
今井杏太郎 様
 
 
 
中谷U太
 
 
 杏太郎先生が亡くなられてちょうど1年。私は4年前に俳句を始めて以来、ずっと先生を蔭の師として学ばせていただいてきました。きっかけはある俳句雑誌で先生の俳句を拝見したこと。一読してその魅力の虜となってしまいました。スローモーションの世界に似た独特の時空で詠まれた作品は、一見、両手を広げるようにあたたかく私たちを迎えてくれるのですが、実はその底には人間の限りなきさびしさが潜んでいるのでした。それは晩年を迎えた私自身の心情であるだけではなく、生きとし生きるものすべてに共通する命それ自体が有するさびしさだと感じました。
 先生に直接の指導をいただくことはできませんでしたが、文字となって示された先生の教えは、私にとって大切な指針となりました。先生のお考えを読みながら、まるで先生が目の前におられるような架空の会話を楽しんだこともたびたびでした。
 
私が俳句を始めて間がない頃、先生にこんな質問をしました。
 「俳句をつくるときに大切なことは何でしょうか」
 「最も大事なことは、なにを詠むかということではないかと思います」
「何を詠めばいいのですか」
「詠みたいことを思うように詠めばいいのです」
 
何という会話でしょう。まるで禅問答ではありませんか。教えをいただいた最初の頃は、「この先生は、何と大雑把なことしか言わないんだろう」と頭を抱えるばかりでした。
 
 
 長き夜のところどころを眠りけり
前にゐてうしろへゆきし蜻蛉かな
ひまわりの種蒔きにゆく男たち
 
 私の大好きな先生の作品の一部ですが、まさにおっしゃる通り。気がついたこと、印象に残ったことをそのまま詠みたいことにつなげ、思うがままに詠んでおられます。これでいいのだ。これがいいのだ。あれから年目となるこの頃、ようやく先生のお言葉の深い意味が少しは分かるようになってきました。
 
先生は、俳句づくりの原点として「呟けば俳句」を標榜され、広く知られるようになりましたが、上記の句にも、眼前にある景観、または、脳裏をかすめた情念をふと呟くように捉えて、出来上がっているのを感じます。私はお尋ねし、先生は答えてくれました。
「どうすれば呟くことができるのですか」
呟きとは、呟こう、と意識して呟けるものではなく、そのときどきに、ふっと出てくる、いうなれば吐息のようなものです
「絞り出すのではなく、ごく自然にですか」
「呟きは、その人の持つ情感からこぼれる涙のようなものであり、その人の思考からあふれ出てくる嘆きの思い、ということになるのではないでしょうか」
 
 
 呟きが俳句になるためには、大変な鍛錬とそこに至るまでの長い時間が必要ですが、いま、年目を迎えて、私にもようやくその入口が見えてきたように感じております。「年ぐらいで分かるものか。まだまだ芸を磨きたまえ」という先生のお叱りが聞こえてくるような気が致しますが。
 
 
 呟きが俳句になる境地に達するまでには、様々な修練が必要だと言うことを先生は教えてくださいました。先生は、言われました――「寡黙になること」「芸を磨くこと」「駄句をたくさんつくること」「あっさり簡単につくる」「ひとりよがりになれ」。
 
 
 「たとえ句は痩せてもいいから先ず『寡黙』になれ、と言いたいのです。その次の段階で、言いたいことを思い出して、すこしばかり言ってみても決して遅すぎることはありません
俳句の面白さとは、当たり前の素材を使って、リズミカルに、もっともらしく、楽しく仕立てあげる『』にある、といえるでしょう
 「駄句というのは大事だと思います。駄句が作れないと駄目だと思います。そこから始まっていくんです。しかし、駄句とは、汗と涙と情念の句でなければなりません
「俳句には、ひとりよがりの思いがなければ、決して〈贅沢〉な句にはならないでしょう。『ひとりよがり』を上手に使えばいいのです
 
 
 先生の教えは、少しずつ理解できるようになりましたが、その中でも最も大きな教えとして残っていることは、次の言葉です。
 「技術的なことは別にして、『俳句を詩として捉えるな』と決めました。これを、別の表現を借りて言うならば、『大きな声で、これみよがしに詠うな』ということになるでしょうか
 「大変に大胆なことを言ってしまえば、俳句の表現方法は、常に、状況説明的なところに、その原点があることを認めざるを得ません」
 
 いずれの言葉も「呟けば俳句」の原点に返っていきます。先生は最後の句集となった「風の吹くころ」の帯にこう書いておられます。
 「『日本の伝統的な文化は、侘寂(わびさび)である』という人が多い。それならば、俳諧は何か…。芭蕉さんは、『俳諧は軽みである』とおっしゃっている。『軽み』とは何か、と思い続けていたが、ある夜ふっと、『軽みとは、儚さなのではないか』と思いついた。すなわち 淋しさに 咳をしてみる 
 
ほろほろと蜜柑の花の匂ふ村
八月のをはりのころを祭かな
寒ければ微笑んでゐる仏たち
枯れてゐるものに浅間のゆふぐれも
湯ざめとは松尾和子の歌のやう
老人と老人のゐる寒さかな
老人の遊びに春の眠りあり
 
 先生の俳句を拝見していて必ず感じることがあります。先生は作品の中に、いつもたった人で佇む存在として、自分を詠み込んでおられるということです。先生の俳句のさびしさの根源は、そこにあるのではないでしょうか。
精神科医であり、船乗りであった杏太郎先生、俳句の儚さに想いをいたされた杏太郎先生、いまごろ、大空のどのあたりを航海しておられるのでしょうか。その旅は、やはり「軽みとしての儚さ」との二人旅なのでしょうか。
 
 
 
月刊花火句会 これからの刊行予定
 
8月24日:2013年8月号
『8月定例句会(8月17日)報告』
8月30日:2013年8月増刊号
『時空を超えた俳人への手紙⑥』仁誠/正岡子規
 
 
次回の予定
 
【日 時】 2013年8月17日(土) 18:00~
【会 場】 名古屋市教育館 第7研修室
【兼 題】 『流星(りうせい)を含む当季雑詠5句
 
  飛込み参加大歓迎!!  
 
◆参加ご希望の方は、兼題1句を含む当季雑詠5句をご用意ください。
◆事前のご連絡は不要です、当日会場に直接お越しください。
◆参加料は1000円です。
 
 
投句の受付
 
◆投句料は不要、投句される方は、メールにてお願いいたします。
◆作者名は本名でも俳号でもかまいません。
◆投句数は5句以内でお願いいたします。
◆締切りは8月15日(木)とさせていただきます。
◆投句いただいた作品の内、句会での入点句は、次回のブログにて発表させて
  いただきます。
◆受付メールアドレス:haikuhanabikukai-aichi@yahoo.co.jp
 
 

【日  時】 2013年7月13日(土)
【会  場】 名古屋市教育館
【出席者】 勝行先生、按庵、柑子、藻六、沓九郎、一筋、カモメ、小麦(以上8名)
【投句者】 U太
【兼  題】 『向日葵』を含む当季雑詠5句
 
新しい会場に移って初めての句会。これまでの住宅街(緑区)からビジネス街のド真ん中(中区栄)へ。環境激変で参加者数が危ぶまれたが、投句者を含めて9名とまずまず(増田は東京出張、仁誠はゴルフ帰りに渋滞に巻き込まれ不参加)。小さく生んで大きく育てるという言葉もあるし(何のこっちゃ)、初回はこれでよしとしたい。それに句会は量より質。これを機に会員一同心機一転、心に残る名句のかずかずをこの新しい会場から生み出していきたい…とまぁ、ここまでは優等生的に言っといて、何といっても花火句会の楽しみは句会後の一杯。そこいくと新会場の周りはお店、お店、お店。飲兵衛にとっては絶好の立地。今回は小雨そぼ降るビアガーデンで今イチさえなかったが、これだけの店が蝟集しているんだから、安くて旨くてくつろげる穴場的な店がきっとあるはず。早速沓九郎を特命大使として、次回までにその手の店を探すことになりました。沓九郎の情報収集力に乞うご期待です(何のこっちゃ)。ただ会員からは「いつも同じ店がいい、その方がくつろげる」「いや毎回違う店の方が新鮮でいい」「若い女性が集まる店がいい」「いや、ある程度の年齢層で」「食いもんが大事」「酒ありゃいい」「栄らしいしゃれた店で」「高い店はダメ」「そうだっ、一品280円だっ」「店主の人柄よ、大事なのは」と好き勝手な意見噴出。これまとめるの大変だけど、沓九郎さん、次回のお店選び、ヨロシク! お任せした以上誰れも文句は申しません(といって陰で文句タラタラだと思うけど)。肝心の俳句の方、こちらは藻六の独走。最近スランプとやらで存在すら忘れかけられていたのがどうやら復活、実に7ヶ月振りのトップ賞と相成りました。ま一応はおめでとうと言っておきます。とにもかくにも、「花火句会盛り場シリーズ」がスタートしました。皆皆様、今後ともヨロシク!
 
 
一席 
国盗りの城ふんづけて雲の峰/藻六
 
二席 
向日葵やプイと横向くこともある/小麦
 
三席 
夏帽子脱ぎ黒髪の振り落ちぬ/沓九郎
 
 
今月の入点句
 
5点句
向日葵を描いて来し子の手の黄色/勝行
 
4点句
炎帝に挑む一蹴逆上がり/藻六
 
3点句
向日葵の迷路を子等の足よぎり/勝行
子や犬に小言言いつつ胡瓜もみ/小麦
風鈴の音三つ聴き路地抜ける/藻六
 
2点句
ひまわりの立ち話する幼稚園/一筋
酔漠のゆるゆる歩む夏の宵/一筋
大昼寝日課としたる朝市女/勝行
紫陽花の朽ちたる色に焦りけり/按庵
ラムネ抜き風ある場所へ案内す/小麦
夕暮れをゆく白日傘閉じぬまゝ/U
 
1点句
片蔭やをみなそれぞれ犬を抱き/U
向日葵や恋といふものありし頃/U
会う人の名前浮かばぬ猛暑かな/沓九郎
ひまわりに群れて生まるるパワーあり/沓九郎
夏の夜さっぱり髭をそりにけり/柑子
空梅雨やまぶしく赤いワンピース/按庵
打ち水をお地蔵様におすそわけ/小麦
絶景と言ひてハンカチ敷きくれし/勝行
標高は三千メートル雲の峰/一筋
向日葵といふカンバスのはみでもの/藻六
 
 
山口勝行評
夏帽子脱ぎ黒髪の振り落ちぬ/沓九郎
暑さ対策やファッションで被る夏帽子、考えてみれば髪の毛にとっては、押え込まれるは風通しは悪いはと、えらく迷惑な存在。それが帽子を脱ぐことによって一挙に解放され、自由に。今月の最優秀句とした沓九郎のこの句、豊かな黒髪が躍動する一瞬を、ストップモーションのように上手く捉えている。
 
兼題の向日葵、明るさや希望の象徴として見られることが多い中、カモメの「向日葵や想い哀しき立つ限界」。立ち続けている(そうせざるをえない)向日葵に、つらさや哀しさをみる作者の感性は評価できるが、哀しさは句を読んだ読者が感じとるもの。それを(哀しき)と直接的に表現することに疑問を覚えます。さらなる推敲が必要か。
 
漢字にはいくつかの読み方がある場合が多い。例えば「一日」は(いちにち)(ついたち)(ひとひ)など。藻六の「炎帝に挑む一蹴逆上がり」、作者によると「一蹴」は(いっしゅう)でなく(ひとけり)のつもりとのこと。であるならひらがなを振るか、「一と蹴り」と表記した方が正確に伝わります。
 
小麦の「子や犬に小言言いつつ胡瓜もみ」。子と犬を同列に扱っているが、親が子に小言を言うのはありふれた風景。なので、「犬にまで小言言いつつ胡瓜もみ」と、犬を強調するとよいでしょう。そうすれば子は言わずもがなになります。
 
柑子の「遠雷や廻り道する水たまり」、この(遠雷)は通り過ぎていって今は遠くで鳴っている雷とのことですが、より分かりやすく「白雨あり廻り道する水たまり」と添削しました。白雨(はくう)は夕立のことです。
 
按庵の「空梅雨やまぶしく赤いワンピース」。作者が力点を置きたいのは何か。わたくしとしてはそれを(赤いワンピース)ではなく(まぶしさ)と捉え、「空梅雨や赤きワンピースのまぶし」としました。
 
一筋の「南京の雌花黙して朽ちにけり」。南京(かぼちゃ)の雌しべが受粉せず枯れたとのことであるが、(雌花黙して)がどうにも分かりづらい。まずは理解を得るため他に違う表現はないのか、模索してください。
 
 
句会を終えてひと言
 
この教育館、30年くらい前に来たことあるけど、その時のまんまのような気がする。古いなぁ。そのうち世界遺産になるかも(そりゃないけどね、エヘヘ)。先月に続き今回も2位。残念! と思いきや、今回から2位にも賞品がでるとか。よかったぁ~! 藻六の「国盗りの城ふんづけて雲の峰」を特選にした。雄大な夏雲が目に浮かんで良い句だと思ったから。ただ原句では(ふんずけて)となっていたんで(ふんづけて)と(ず)を(づ)に直しておきました。またもや、あんた先生かぁ~と言われそう、エヘヘ。向日葵っていつもポジティブシンキングで誰れにでもニコニコのイメージ。でも、いつでもそんな態度とってられないんですよ。たまには横向いていたいこともありんす。そこであちきの「向日葵やプイと横向くこともある」。う~ん、我乍らこれは良い句だ。誰れだっ、プイと横向いたのわぁ!(小麦)
 
グヤジーっ! また選句されんかったぁ。得点ゼロ。「ラムネ抜き風ある場所へ案内す/小麦」に点を入れた。オーダーした人、差し出す人、親切心と感謝の気持がつまった句。向日葵、自然というのはよくもまあこのような植物を創り給うたものだと感心する。もはや芸術の域。それを「向日葵や佇みのみで芸術家」と詠んだのだが、勝行先生に「向日葵のただ佇んでをりにけり」と直されてしまった。自分から芸術と言わず、それは読者の自由な感想に委ねようということらしい。ああ、俳句ってムズカジーっ。(カモメ)
 
ピンポンハウスもそうだったけど、この教育館も暗い。もっと光を! こっちゃの視力減退? う~ん、一度眼医者に行くか。やっぱ夏は子供の季節だもんね、今日は子供中心に選んだ。勝行先生の「向日葵を描いて来し子の手の黄色」が特選句。オイラの自信句は「ひまわりの立ち話する幼稚園」。両方とも子供の世界。幼稚園に背の高いひまわりが並んで咲いていて、まるで立ち話をしているみたいだった。どうです、素直な句でっしゃろ。そう思ったら、もっと素直に点を入れて欲しいわ。みんな素直さが足らんのだわぁ。(一筋)
 
ずいぶん前になるけど「七変化醜女(しこめ)となりて花了る」という句を詠んだことがある。それに通じるところがあるなと按庵の「紫陽花の朽ちたる色に焦りけり」を特選にした。花の命は短い、人もまた盛りはわずかという詠嘆。ところがぎっちょん、作者によると、この句は、滅びの美学を詠んだもので、自分もああいう風に朽ちたいという意味だという。それで、このままではそうなれんから、焦るんだと。何じゃそれ! 紫陽花のように朽ちたいってかぁ! 訳分からん! 転居して、たまたま近くに住むことになったけど、こういう理解不能な人物とは距離をとりたい。区は同じでも町名が違ってよかった。(藻六)
 
わっしゃどうも戦(いくさ)の場とか権力の象徴には拒否反応があるので、「国盗りの城ふんづけて雲の峰/藻六」に痛快さを感じました。視覚的にもすっきりしているし、ふんづけるという表現も斬新。で、特選に。最近の句作では心のときめき、その瞬間を大事にしているつもり。先生から点をもらったわっしゃの「空梅雨やまぶしく赤いワンピース」、実際に“はっとした瞬間”を素直に詠んだものです。藻六が特選に選んでくれて、あとからブツブツ文句言ってたわっしゃの「紫陽花の朽ちたる色に焦りけり」。これも、あまりに美しい朽ち色に思わずうずくまってしまった瞬間を句にしました。あんなもんどこが美しい、汚らしいだけやないかという藻六、まだまだ本当の美が分かっとらん。いい年こいて困ったもんだ。(按庵)
 
新しい会場、新しい雰囲気、これもまた良し。そこで私も頭を五分刈りにしてみました。涼しくて、これもまた良しです。金華山(別称稲葉山)に行ったことのない人、是非行ってみて。藻六の「国盗りの城ふんづけて雲の峰」、この句のよさが分かります。30代前半で、黒髪豊かな美しい女性をイメージしてみてください。今月の最優秀句になった私の自信作「夏帽子脱ぎ黒髪の振り落ちぬ」、この句のよさが分かります。分かりましたか? ハイ、よくできましたね。(沓九郎)
 
今月は特選にしたい句が三つ。「夏帽子脱ぎ黒髪の振り落ちぬ/沓九郎」「夕暮れをゆく白日傘閉じぬまゝ/U太」「炎帝に挑む一蹴逆上がり/藻六」。かなり迷ったが、最後は、帽子の色と黒髪の色の鮮やかな対比、振り落ちる豊かな髪の生きもののような動きから、沓九郎に点を入れました。一方自作の方は事実そのままを句にした「夏の夜さっぱり髭をそりにけり」に1点入っただけ。トップだった先月とは大違いで、あとはかすりもしなかった。これでは先月がフロックになってしまいます。そうならないよう来月は頑張ります。(柑子)
 
 
月刊花火句会 これからの刊行予定
 
7月30日:2013年7月増刊号
『時空を超えた俳人への手紙⑤』U太/今井杏太郎
8月24日:2013年8月号
『8月定例句会(8月17日)報告』
 
 
次回の予定
 
【日 時】 2013年8月17日(土) 18:00~
【会 場】 名古屋市教育館 第7研修室
【兼 題】 『流星(りうせい)』を含む当季雑詠5句
 
 
投句の受付
 
◆投句料は不要、投句される方は、メールにてお願いいたします。
◆作者名は本名でも俳号でもかまいません。
◆投句数は5句以内でお願いいたします。
◆締切りは8月15日(木)とさせていただきます。
◆投句いただいた作品の内、句会での入点句は、次回のブログにて発表させて
  いただきます。
◆受付メールアドレス:haikuhanabikukai-aichi@yahoo.co.jp
 
 
お知らせコーナー
 
例年通り名古屋市緑区区民文芸集に出品しますので、会員、投句者の皆さん、よろしくお願いします。一人二句、次の句会(8月17日)に持参するか、8月15日までに事務局へメールにてお送りください。この一年間の作品であれば、季題は問いません。
(月刊花火句会事務局より

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